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大ブルガリア(だいブルガリア)、または古い大ブルガリア(ブルガリア語: / ''Stara Velika Balgariya''、ギリシャ語:)は東ローマ帝国の歴史書に登場する用語で、7世紀のクブラト( / ''Kubrat'')によるヴォルガ川下流からドニエストル川までの範囲のカフカース山脈北部・ステップ地帯の支配を指し示す〔Theophanes,Op. cit., p. 356-357 〕。オノグリア(Onoguria / Onoghuria)とも呼ばれる。 == クブラト == クブラト(クルト Kurt あるいはフヴラト Houvrat とも)は有力氏族であったドゥロ家(en)の出身で〔Nominalia of the Bulgarian khans〕、ブルガール人の指導者としての正当な継承権をもっていた。クブラトのおじのオルガナ(Organa)がブルガール族の摂政を務めていた間、クブラトは東ローマ帝国で若い時代を過ごし、教育と洗礼を受けた〔John of Nikiû, ''Chronicle'' 〕。 628年ごろ、クブラトは故郷に戻り、おそらくアヴァール人のカガンの承認の元、ブルガール人の指導者となった。やがてクブラトはアヴァールによる支配からの脱却を図り、西突厥からも脱却した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大ブルガリア (中世)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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